一緒に仕事をしていた仲間と、数年ぶりに会うことになりました。
彼らは二人とも60代後半の男性で、今から数年前、現役リタイア後にある企業で働いていており、そこで私と一緒でした。
二人とも知見が豊かで人柄もよく、現役時代にはそれなりにしっかり実績を積まれてきた方だけど偉ぶるところは全然無く、私にとっては憧れの先輩兄貴のような方々です。
コロナもあり、なかなか会える機会が無かったのですが、父が死んだときの話を伝えたのをきっかけに、会おう!と言う話になりました。
誤嚥性肺炎を繰り返し、
胃瘻しか方法がなくなって胃瘻を断り、
食べ物はもちろん、水も飲めなくなって、あとは死ぬのを待つだけの父・・・
でも意識はある・・・
その話を詳しく聞きたい、と言われたのです。
経緯を話していったところ、彼らは口を揃えて言ったのです。
すごい、すごい、すごいね。
映画みたいだね。
なんか、山にこもった修行僧や仙人みたい。
そういう死に方、いいね。
カッコいいね。
そうありたいなあ。
そんな風に言われるのはちょっと意外でした。
そうか。父の死に方はカッコよかったんだ。そう思えるのは悪くありません。少しこそばゆくもあります。
でも私にとって父の死は、あくまでも父の話。当時は娘として、これでよかったのだろうかと思っていました。
そこに、自分だったら・・・と言う視点は、全然ありませんでした。
でも、こうやって人が死ぬときの話を他の人と話すことで、自分の中の死生観が少しずつできあがっていくのを感じます。
時代の流れで家族のカタチが変わり、人が死にゆく様子を見る機会がめっきり減ってきました。
コロナで葬儀は家族だけ、通夜振る舞いもないし、葬儀で家族以外と話すこともない。
ましてや人が死にゆく様子について、他の人と語り合う機会なんてほとんどない。
すでに父の死からは1年が経っていますが、こんな風に話をすると、今さら自分が癒されていくのを感じます。
そして、自分が理想とする死に方はどういうものなのか。
これまではどこか机上の空論のように考えていたものが、父の死に方を参考に考えるとより現実感が出てくるようです。
終活とは、相続や遺し方、葬儀やお墓をどうするかだけではなく、こういうことを考え続けていくことこそが終活だよなあ、と私はしみじみ思うのです。
改めて、そういう話を聞いてくれる人と仕事を通じて出会えたことをありがたく思います。
二人とも、今もまた違う場所で、興味深くおもしろい仕事をゆるゆるとしています。
彼らは、リタイア後の仕事だからこそ重圧なく余裕をもって働いており、人としての深みも窺い知れて、私にとっては尊敬すべきナイスガイ。
しばしば叫ばれている人生100年時代とは、こういうことなのだろうとしみじみ思います。
お久しぶりです。昨年暮れのお葉書読みました。
昨夏、96歳になる母が4年間過ごした老人ホームを退居し、同じ市内の病院に移りました。緊急搬送され一命は取り留めたものの、脳出血のため半身麻痺が残り、意識はないと言われましたが、2ヶ月後転院の際に付き添った時は手を握り返してくれました。
母は子供の時の足の大怪我のせいで身体が弱かったけれど、ずっと父(夫)の仕事を事務面でサポートしていました。(時に私も手伝わされ、軽くヤングケアラー?)なので家庭にはあまり手が回らず、10代の頃の私は放任と豪語されていました」
ホームでは担当職員さん達に、子供たち3人を懸命に育てたと語っていたそうで、コロナ禍で面会制限になってからは毎日居室の入り口で来客を待っているようだとも聞いていました。
義母が最後に入院していた時を思うと、認知症で寝たきりになっていても意識がないのではなく自発表現できないだけで、意思はあると感じていました。
今母がどういう気持ちでいるのかとも案じてしまいます。一方で、こういう状態では本当に意識がないという情報も目にし、そう思うようにしました。
まだ母が自宅に住んでいた頃は、所謂「ピンピンコロリ」が理想と言っていました。施設では車椅子だけど身の回りの事は自分でできていていたようでした。
本人とホームと親族間で、万が一の時は延命措置はしないという意思疎通をしていました。でももし緊急搬送されるような事態になったら、病院では緊急に点滴などの措置はされるだろうと思い、延命措置の境目はどこにあるのかケアマネにきいていましたが、ご家族で話して下さい、ということで明確な答えはないままでした。
老後の心積りはしていて、実際思う通りにできない部分もあるのだなと知らされた気がしています。
経鼻栄養では2年頑張ってくれるかな、と思います。叔父叔母には心配掛けるだけなので今は報告しない、と息子娘達で話し合っています。