最期に手紙を書くとしたら、果たして誰に書くだろう?
今年4月からお昼の帯で半年間続いた倉本聰さんのドラマ「やすらぎの郷」(テレビ朝日)。
石坂浩二さんが主演で、大変話題になりました。
テレビ界で活躍した人だけが入れる老人ホーム、「やすらぎの郷」。
その住人の一人である元女優のもとに、住人ではない大昔の女優仲間から「最期の手紙」が届くのです。
手紙を受け取った役を演じたのは加賀まりこさん、手紙を書いた役を演じたのは富士真奈美さんでした。
二人は大昔はつきあいがあったものの、加賀まり子さん演じる「安らぎの郷」住人は、晩年、富士真奈美さん演じる元女優をどちらかと言えば避けていて、ほとんど会うことはありませんでした。
そこに富士真奈美さん演じる元女優が「やすらぎの郷」を訪ねてくるのです。
「最期の手紙」とは、富士真奈美演じる元女優が自らの命を絶つその直前に書いた手紙でした。
ずっと会っていなかったのに、親しくなんかなかったのに、私に手紙を書いた。
なぜ私だったのだろう?
他に出す相手がいなかったから、私にくれたのか?
もし自分だったら、最期に誰に書くだろう?
そう考えてみたら、私には手紙を書く相手がいないことに気づき、たまらなく寂しくなったの。
記憶を頼りに書いているので正確ではないけれど、このような意味のセリフを、
加賀まりこさんは「やすらぎの郷」の主役、石坂浩二さんに語るのです。
妻を見送った今、私が手紙を書く相手などいない。
加賀まりこさんのセリフを受けた石坂浩二さんのナレーションが、胸に迫りました。
あなたには、最期の手紙を書く相手がいますか。
それが誰か、あなたはすぐに言えますか。
その人はあなたより長く生きているでしょうか。
伝えたいことを受け取ってくれるでしょうか。
何かを伝えたい、と思う相手がいるというのは、とても幸せなことなのだ、と改めて思います。
伝える相手、それを受け取ってくれる人がいるというのは、とても幸せなことなのです。
人はきっと、本来何かを伝えたい生き物、何かを吐露したい生き物なのだと思います。
でも相手がいなければそれは叶わない。
伝えるというのが、直接話すことだったり、手紙を書くだったり、その形はいろいろで
今はSNSがその役割を一部担っているのかもしれません。
伝えたい相手が家族か家族でないかは人によって違うでしょうが、
伝えたい(言える)相手は、できれば1人でも多く持っていたいと私は思います。
そういう人は気のおけない相手なだけに、ついつい気遣いも忘れがちだけれど、そういう人こそ大事にしたいものです。
これからそういう人をもしも増やすことができるとしたら、それはとても幸せなことなのだと思うのです。