「終の棲家(ついのすみか)」と言うと、どんなことをイメージするでしょうか。

「終の棲家」とは、文字通りそれは最期まで暮らす家、場所。
年をとってから人生を閉じるまで住まう場所のことです。

最近、私は何人かの人から
私の終の棲家に遊びに来て。」
と声をかけられました。

そう言ったのは、私と同世代や、私よりも10歳ほど年下。
40代50代のシングル女性です。

50歳前後の人で「自分自身の終の棲家」の意識を持っている人は、
はたしてどれくらいいるでしょうか。

きっとかなり少ないのではないかと思います。

どちらかと言えば男性よりも女性の方が、ご自身の行く末についての意識が高いように感じています。
男性の方が平均寿命が短いことを思えば、女性よりも男性の方が[死」が近くに感じそうなものなのに不思議ですね。

また、どちらかと言えばおひとりさまの方が、その意識が高いようにも感じています。

そういう彼女たちが自らの「終の棲家」を語るときは、皆どこか満足感があって少し得意げです。
それぞれが自分の好きな家具や食器を選び、そこにいるだけで気持ちのよい空間で、自分の理想に近い暮らし方を目指しているように感じます。


さらに強く感じるのは、シングル女性の「私が決める」意識の高さです。
これは住まいだけでなくいろいろ。

伴侶がいて、子どもがいて、家族を支え支えられ、頼り頼られて生きていくのは素敵なことだけれど、
その積み重ねの結果、いつのまにか「私が決める」ということを忘れていくことはないでしょうか。
それは、すべてはお任せ丸投げな場合だけではなく、
家族に迷惑をかけないようにと思うせいでそうなっている場合もあるようです。

さて私自身の「終の棲家」のイメージは、残念ながらまだおぼろげ。
そのイメージについては、まだ家族と話し合うような段階にはなっていません。
連れ合いはたぶんこう思っているんだろう、とお互いに思っているのだろうと勝手に推測しているところです。

それだけに、同世代(や下の世代)が自らの「終の棲家」を誇らしく語る姿に、私は少し圧倒されてしまったのでした。

そう言えば、私の高校時代に担任だった先生は、50代の時に夫婦で自らの終の棲家を決めて住み替え、
そこから仕事(学校)に通っていたことを、卒業して何年も経ってから私は知ったのでした。
知った当時は驚いたけれど、それでも今思えばまだ他人事でした。
けれども今、友人たちがそう語るのを聞いて、ぐっと自分ごとに近づいてきた気分です。

考えてみれば、
「終の棲家」をどう考えるかというのは、これからどう生きていきたいかの延長線上のこと。

誰と暮らすのか。

どこで暮らすのか。

どうやって暮らすのか。

そこには今までに培われたそれぞれの人生観や価値観が必ず反映されるはずです。
いくら円満家族であっても、必ずしも暮らしのイメージが一致するとは限りません。
いざ聞いてみると改めてその違いに気づくこともあるに違いありません。
それをひとつづつ理解し合う作業は、ちょっと怖いけど楽しみでもあり…。
このあたりが、自分一人でどんどん決めるシングルとは少し違いますね。

私は、できればお任せ丸投げではなく、自分らしい「終の棲家」を選びたいと思います。
だから「私が決める」形で。
でも一人で決めるのではなく、連れ合いとお互いのイメージを理解し合いしながら。
そのためには、早い時期からゆっくりと始めていくのがよさそうです。
もしも、どう考えても交われないくらいに各々のイメージが固まってしまったり、
お互いに理解できなかったり、ついていけないと思うようでは、残念ではないでしょうか。
もしもイメージが違っていても、時間があればすり合わせや歩み寄りができそうです。
それはきっと、今だからできること。
それに、イメージはどんどん変わっていってもいい。

50代だからこそ考え始めたい「終の棲家」です。

 

 

 
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