還暦間近になった今、40年以上前の同級生たちとのおつきあいが、再び始まるようになりました。

卒業以来40年を経て、
未婚/既婚/離婚、
子どもの有り/無し、
今まで仕事をしていた/していない、
大活躍している等々いろいろなのですが、
そういうことには全然関係なく、SNSがきっかけでなんとなく同級生全体とつながりが戻りつつあります。

私は、中学高校一貫教育のキリスト教の私立の女子高に行っていました。
元気いっぱいの中高生ではありましたが、それでも心の奥の方で、
なんとなくそこが自分の場所ではないように、ずっと感じていました。
当時はまだ、私の地元では多数派ではなかった中学受験を経て入った学校だったので、
同級生は優秀な人ばかりで(と感じて)、私は劣等生。
成績が良くなかった私は、勉強するのが大嫌いになってしまいました。
さらに同級生には比較的裕福な家の人が多く(と感じて)、自分の家がひどく貧乏だと思っていました。
私の心の中は、劣等感でいっぱいだったのです。

当時私がそんな風に感じていたと言うと、昔の同級生はみんな
「信じられない。誰よりも元気で楽しんでいたのに」と笑います。
でも当の本人の私は、
あぁ、私はここにいちゃいけないのだ…と、
常に後ろめたさみたいなものを背負いながら、そこにいました。
卒業してからも、長いことそう思い続けていて、20年くらいほとんど会うこともありませんでした。

そんなことを思っていたくせに、
あの頃のキリスト教教育がその後の私に大きな影響を与えているとみじみ思います。
大事な6年間、あの学校に育てられてよかった、あの場に居られてよかった、と。
卒業から40年経った今、当時の同級生たちと大人数で修学旅行のように旅行に行くこともあります。
今頃になって初めて話をする同級生もいます。

だから今、40年前の私に言ってあげたい。
「そんなこと思わなくてもいいのよ。大丈夫だから」って。
当時、未来の私からの言葉が届けばよかったなあ。

そんなことを同級生と話していたら、同じような思いをしていたのは私だけではなかったことを知りました。
それも、一人二人ではなく、何人もいたことがわかりました。
私から見ると、みんなキラキラして楽しそうに見えたけれど。
そういう彼女たちも今、同じように、当時あの場所にいられてよかったと思っていたのでした。

それ、今からでも40年前の「私」に言ってあげるといい。
それが今の「私」に跳ね返ってくるよ、きっと。

そんな風に言う同級生もいました。

 

たとえ合わない、違うと思ったとしても、
ずっと時間が経ってから、ピタッと合う思いがすることもあるんですね。

だから今、イヤだったり辛かったりつまらなかったりすることも、
意外にあと何年かしたら価値を持つのかもしれません。

仕事や会社も同じかもしれません。
ここはイヤ。
こんな仕事は私に向かない。
こんなことをやらされて…
そんな風に思っていても、
意外にあとでピタッとはまったり、自分の思わぬ可能性を引き出してもらったり、
なかなか会えない人に出会えたり、そこにいてよかったと思える日が来るのかもしれませんね。

 

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