卒業以来、毎回幹事を持ち回りにして、女子大時代の仲間たち10人、毎年1度集まるようにしています。
全員がそろったのは卒業直後だけで、その後は数人の欠席は出るのですが、それでも約35年続いています。
時とともに話題は変わってきていて、今年の話題で注目だったのは、ペットの病気、ペットの介護、ペットが死んだときの話でした。
ペットの病気の進行にどのように向き合い、最期にどう寄り添ったか、その悲しみとどう対峙したか、と言う話題です。
中には今まさに死が迫る病気と闘うペットの看護真っ最中で、それを話しながら涙する友人もいました。
今はペットは大事な家族。
けれども飼う友達は、事情も、対処方法も、気持ちも、それぞれみんな違います。
我家にも、もうすぐ19歳になろうとしている愛猫がいます。
ずっと元気でしたが、昨年末にぐったりして何も食べなくなりました。
検査の結果、腎臓が悪くなっていました。
すぐに入院、点滴、薬・・・
診断によれば、腎臓がだめになっていました。
入院や点滴や薬の治療が始まりましたが、獣医先生の話を聞けば、この腎臓が治って健康体に戻る、ということはもうないそうです。
最初は入院し、点滴をしたけれど、我家の愛猫はもともと家の外に出たことがなく、病院に行くのは大きなストレスであることは間違いありません。
家族で相談の結果、今後入院はできるだけ避け、点滴も薬も私たちができる範囲で家でケアしながら、家族で最期まで家で見守っていこうと決めました。
猫はもう長くはないだろうと覚悟を決めたのです。
いざというときに備えて、冷凍庫には保冷剤を常備し、愛猫が好みそうな高価なマグロのお刺身を買って与え…。
そんな愛猫の話をすると、いろんな人がいろんなことを言いました。
ペットにそこまでのことをしなくても…。
18歳ならもう十分。延命治療なんて、かわいそう。何もしないのが一番。
ペットちゃんはあなたの家族で今まで幸せだったからもう十分
入院させてあげればもっと元気になるんじゃない?
みんな、よかれと思っていろいろアドバイスをしてくれます。
猫のカラダのことを考えて。
それはよくわかるのだけど、どれもその通りかもしれないけれど、どの言葉にも納得できませんでした。
そこには猫の個性や性格もあるし、私たち家族と猫との関係もある。
そう簡単に割り切れないいろいろなことがあって、何を言われても私にとってはキツいものでした。
自宅でのケアを続けていく中で、やがて愛猫は元気になっていきました。
あれから半年。
愛猫は今も元気にしています。
家の中の階段を、病気になる前のように自分で上り下りするようになり、呼べばこっちに来るし、おなかを空かせれば大きな声で鳴いて餌をねだるようにまでなり…。
ついに、冷凍庫に入れていた保冷剤も出しました。
それでも検査の数値を調べれば、病気が治っているわけではありません。
ちょっと気を抜くと脱水症状が出るし、決して健康なわけではありません。
点滴も薬も、治すために与えているわけではないので、言ってみれば延命治療です。
しかも、動物の治療費は健康保険がないのでそこそこ大変です。
今、私たち家族は猫の命と向き合う難しさを改めて実感しています。
延命治療というのは、カラダだけの問題ではなく、家族にとっては割り切れないいろいろな思いがあること、
それによって、治るわけではなくても多少の回復が見込める場合があること、
お金が命、寿命を延ばす場合があること、など。
今から20年前に飼っていた猫も、今思えば同じ病気で亡くなったのですが、
当時はまだ細かい検査はできなかったし、いい薬もありませんでした。
ぐったりして血尿が出て、獣医さんに連れて行ったら、わずか2日で亡くなってしまいました。
どういう対処をしようか、なんて悩む時間はなかったのです。
医学、獣医学が進歩したおかげで、検査をすればいろいろなことがわかる。
いろいろな治療法も考えられる。
でも当の猫にしてみると、我家の猫の場合は病院に行くのは大変な恐怖で大騒ぎ。
いざ検査の採血ではなかなか血が採れません。
猫にはとてもつらく過酷そうに見えました。
獣医さんは、猫のカラダがどうなっているか、猫の病気の症状を改善させるにはどうするかは教えてくれるけど、
猫にとってどうするのがよいのかは、私たちが決めるしかありません。
愛猫は8月で19歳。人間で言えば92歳だそうです。
所詮ネコのことでしょ?と言う方もいらっしゃるかもしれません。
でも、ここにはいろいろな問題を孕んでおり、それは人の場合と全く同じ、変わりません。
唯一違うのは、猫は自らの意思を伝えることはできないということだけ。
「本人の希望を伝えることができる」というのは、人だからこその優位性なのだと改めて思います。
医療の進歩、.寿命の延伸で、私たちはどのように「命」と向き合うのか。
延命治療をどう考え、どう対処するのか。
家族が減り、すぐ身近に高齢者がいない現代人にとって、
ペットは「死」を知る(=学ぶ、感じる)大事な存在だと改めて思います。
お葬式の参列、同居する家族の加齢、お墓参りなど、「死」を意識する機会はいろいろあったはずだけれど、
大家族だった昔と違い、そういうことが少なくなった今、もっとも臨場感をもってそれを教えてくれるのは、ペットではないでしょうか。
そんなことを、愛猫を看ながら私は日々痛感しています。
どうしてほしいのか、どうありたいのか、自らの希望を伝えられる私たち人間だからこそ
できることを、今一度考えたいものです。
医療の世界では、ようやくACP(アドバンス・ケア・プランニング)の重要性が言われるように
なってきましたが、まだまだACPを知る人はそう多くはありません。
ペットの病気や死と向き合いながら、
私たちは親の死に向き合う準備、自分自身の死と向き合う準備をしているのかもしれません。