我が家は両親も親戚もみんな東京にいますが、お墓は父の郷里、金沢にあります。
うちは女3姉妹で私は長女。
お墓をどうするのかはかなり前から気がかりなことでもあり、
今から30年前、まだ「改葬」なんて言葉がなかった時に、
お墓を東京に移すかどうか父と何度か話しましたが、絶対移さないと言うのが父の答えでした。

旅立ったら郷里に眠りたい。
可能な限りお墓参りをしてくれれば、あとは無縁墓にしてもいい。

そこには、「できることならお墓を守ってほしい」が、「無理はしなくてもいい」「でもできることなら・・・」という父の思いが透けて見えました。
今は「改葬」とか「墓じまい」とか、お墓は守るよりも閉じることの方の話題が多い時代ですが、父の思いは時代とは逆行していました。

10年くらい前から、両親だけでお墓参りに行くのが難しくなり、始めは私たち子どもと老親と一緒に父の郷里に行くお墓参り旅行に行くのがイベントになりましたが、それもすぐに難しくなり、私たち子どもが老親のリクエストでお墓参りに行くように変わっていきました。

とは言え金沢なので、東京からはそう簡単に行けるような場所ではありません。
そこで、今までずっとズワイガニが解禁される時期、食べ物がおいしくなる初冬に、お墓参りに行くのが我が家の習わしでした。
言わば、親孝行の一つとしてお墓参りを兼ねてお楽しみ旅行に行く、という気分でした。

ところが、今年になって父は「お盆にお墓参りに行ってほしい」と言い出しました。
混む時期だし、暑いし、おいしいものはないし、お盆じゃなきゃダメなの?
何度か聞いては見ましたが、「やっぱりお墓参りはお盆だろう」という父の言葉に、私も親孝行として行かねばなるまいと観念し、妹と行くことにしました。
それを伝えると、父はとても安心したようで喜んでいました。

それにしても、なぜ父は今年はお盆にと言い出したんだろう・・・?

父は決して信心深い方ではないし、お盆にこだわるような人ではありませんでした。
私たち家族はお墓と離れていたので、子どもの頃から頻繁にお墓参りに行くという習慣はありませんでした。

それでもお盆に行ってほしいと父が言うのはなぜなのか。
人は年をとると、だんだんお墓参りを大事にするようになっていくのではないかと私は思うのですが、どうでしょうか。
田舎でおばあちゃんが毎日お墓詣りしている、という話を聞きます。
私の父も近年急速に弱ってきて、そろそろ向こうの世界に行くにあたって、ご先祖様に対してきちんとしておかなくてはと思うようになったような気がしてなりません。
うちのお墓には、ご先祖様がたくさん入っているので、特にそう思うのかもしれません。

近年増えている墓じまい。
今はしまいたいと思っているからそうするのでしょうが、人の気持ちは変わるもの。
将来年を取って、お墓を恋しく思ったり、お墓参りしたいと思ったりすることはないだろうか。
もし思ったら、どうするんだろう。

人の気持ちは変わる。
特に「死」や「死後」のことについては、年齢とともに変わる人が多いように思います。
既に墓じまいをしてしまった人が、将来、もしも気持ちが変わってお墓への思いが強くなったときには、誰がどのようにそれと向き合うんだろう。

昨今の墓じまいブームを聞くにつけ、私はそんなことを考えてしまうのです。