昔、森高千里さんが「私がオバサンになっても」という歌を歌っていましたね。
当時の森高千里さんはまだ20歳そこそこの若い女性で、オバサンなんて想像もできませんでした。

今、たまにテレビで森高千里さんを見ることがあります。
森高千里さんは1969年生まれなので、今47歳。
とてもオバサンには見えないけれど、年齢的には一般的に言われるオバサンの域に入っています。

そう、見た目がどうであれ、時間は誰にも平等に与えられるもの。
誰だって、平等に年を重ねていきます。

私は若い頃から自分がきっと長寿であることを確信しており(苦笑)、
その頃から、将来寂しいオバアサンになるのではないかと心配していました。

なんせ、私の家系は父方も母方も代々長寿。
父は来年米寿を迎えますが、5人兄弟で現在兄弟姉妹全員元気。
母は既に80歳を超えていますが、4人兄弟で一番上の兄が3か月前に亡くなったばかり。
ついこの前まで兄弟姉妹全員元気でした。
ですから、きっと私も長寿なんだろう、と。
しかも私は、男より10年近く寿命が長い寿命の女性です。

私が敬愛する先輩たちはもちろんのこと、同年代の友達も、
みんな先に逝ってしまい、
そのうち年下の友達もどんどん先に死んじゃって、
それでも私だけが生きていたら、私は寂しくなるのではないかと
漠然と不安に思っていました。

私が終活業界と近しくなっていったのは、
もしかしたらそんなことが影響して無意識に気になっていったのかもしれません。

森高千里さんは、
「私がオバサンになっても若い娘に浮気をしないでね」、
「私をそのまま愛してね」
と歌っていましたが、
実際にオバサンになったときの心配は何だったでしょう。

「オバサンになったら」の次は、「オバアサンになったら」。
さて、オバアサンになったら・・・・

どうなっているか(いたいか)。

どう生きているか(生きていたいか)。

どんな風に感じているか(いたいか)。

『終活』の本質と言うのは、そういうことだと思います。
たとえば、若い頃から漠然と不安に感じていた私は、
オバアサンになって寂しいことなく生きていくためには何が必要なのでしょう。

自分自身の人生をどう完成させていくかをイメージし、
自分らしくデザインし、
老いを受容し覚悟を決めていくための準備。
人まかせではなく、自分で考え、自分で決める、自分で選ぶ。
自らの生きかたが問われているとも言えるのではないでしょうか。

それを私は「新終活」と呼びます。
「終活」が死ぬときのこと、死んだ後のことを考える活動と思われがちですが、そこは少し違います。

大事なのは、自分らしくどう生きるかということ。
自分にとって何が大事で、人や社会とどんな関係性を築いて生きていくか。

私が漠然と「オバアサン」になったときのことを不安に感じていた頃から30年近くが経ちました。
今も、誰よりも長く生きるかもしれない不安はないと言ったらウソになりますが、
それ以上にどう生きていくかを考えていく「新終活」は、年を重ねれば重ねるだけ求められていくのではないかと思います。

その形は10人いたら10通り、100人いたら100通り。
私は私のカタチを求め、どうありたいかを考え続けていくのです。

 

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