「50過ぎたら楽になるわよ」の真実

というタイトルを見て、吸い寄せられるようにこの記事を読んでしまいました。
書いているのは大野左紀子さん。

参考)ハフィントンポスト「『50過ぎたら楽になるわよ』の真実」
https://www.huffingtonpost.jp/sakiko-ohno/ageing_b_5756690.html

アーティスト活動を経て文筆家になった人で、興味深いテーマの多くの著書があります。
私とちょうど同じ年でした。

50歳になると楽になるかどうかの前に書かれている内容は、私にとっては、そうそう!と膝を打ちたくなるほどよくわかることばかりです。

40歳前後…(中略)
その中心にあったのは、加齢恐怖だ。

オモテに表現するかしないかは別にして、中心に加齢恐怖があったというこの感覚、
私自身、今になって改めてとてもよくわかります。
私がそう感じるようになったのは、40歳前後と言うよりは50歳になる少し前。
だけど最初の頃はその中心が何なのかよくわからないまま、なんだか妙にジタバタしていて、
その正体が加齢恐怖だったのだとわかるのは、さらに少したってからでした。
当時、「私は歳をとりたくない」と強く強く思っていた感覚を、今でもよく覚えています。
でも一方で私は、歳をとることは素敵なことなはずだ、とも思っていました。
この大きな矛盾。
今にして思えば、素敵なことなはずだと思いたかったのかもしれません。

歳を言って「全然見えませんね」と返されれば、お世辞とわかっていても心の中で「やっほう!」と叫んでいる。

そうなんですよ。これもまさしくその通り。
歳をとることは素敵なことなはずだと思っていたくせに、です。
悔しいことに、今でもこの「やっほう!」の気持ちは消えることなく、そのまま継続しています。
そんなことで「やっほう!」と言わなくてもいいくらい、クールになりたいものだと思うんですけどね…

さて、本題の「50歳を過ぎたら楽になるか?

40歳前後の頃に50代の女性に「50過ぎたら楽になるわよ」と言われた大野左紀子さん。
50代になって、
「異性の視線をスルー」できたり、「可愛いものを心置きなく愛せ」たり、
「若いころ読んだ本、観た映画をもう一度新鮮に味わえ」たり、「目標が絞られて」きたり、「 謙虚になれ」たり。
楽になるという意味がこれかと、感じるのだそうです。
そこで書かれていたのが、

私の「50過ぎたら楽になる」とは「諦め」に裏打ちされたものだとわかる。
ある種の「諦め」を経て手に入る「楽」である。

もうちょっと積極的に諦めて捨てればもっと身軽で楽になるなぁと思いつつ、まだその時ではないなと思って取ってあるものもあるので、要はバランスなのだろう。自分の中でバランスが取れていればよく、他人から見てどうかというのはあまり関係ない。このように割り切れるようになったのも、わりかし最近のこと。

「諦め」か…
同じ年でありながら、私はまだこの域にはいません。

「異性の視線をスルー」できないし、若い頃から「可愛いものを愛する」ことはあまりないし、
「若いころ読んだ本、観た映画」は若い頃から何度でも新鮮に味わえるし、未だに「目標」はなかなか絞り切れず、あれもこれもやりたい。
もちろん「 謙虚に」なれないし。

加齢恐怖はかなり薄まってはきたけれど、それでも諦めきれないから、
今さっきもテレビ通販で透明感の肌が手に入るというクレンジングを注文してしまったばかりです。

還暦が近づいている今、私に残されている時間はあとどれくらいあるのだろう?と考えることがあります。
私がやりたいことを全部やるのに間に合うかなあと思ったりもします。
制限時間など意識もしなかった若い頃が少し恨めしくもあり、そう考えると焦りとともに少ししんどさを感じます。

60歳前後って、カラダの2度目の節目なのだと書いたことがあります。
カラダのせいで心も随分影響を受けているはずと思います。
昔は不惑の40歳などと言いましたが、50とか60とか、まあ大体このあたりは迷いながら少しづつ定まっていく年齢なのかもしれません。
30代の頃は、50、60になった人はすっかり悟りきった大人だと思い込んでいましたが、なんのなんの。
なってみるとわかるけど、意外に迷い続けるものなんですね。

さて、50を超えると楽になるのか

今の段階では、楽になるのか、しんどくなるのか、変わらないのか、
まだわかりません。
数年後に私がどう感じているかを待ってみたいと思います。