実家の老親・父の、自宅から施設への住み替えを、昨年11月末に決行しました。
約5ヶ月が経とうとしていますが、ようやくそのことをここで書けるような気持ちになれました。

父は長男で、私が10歳の時に父の両親を故郷から呼び寄せたので、私は祖父母と一緒に暮らしていました。
だから私の家は父の兄弟姉妹にとっては実家。
親戚の出入りも多い家でした。
新興住宅地だったので、当時でも3世代同居は珍しくなりつつある頃でした。

私は3姉妹の長女で男の子がいなかったので、幼い頃から親戚からは「家を守るのは公子ちゃん」と言われ、祖父の兄弟姉妹からはなんとなく「養子をとる」と思われていた記憶があります。
結果的にはそういうことを言う人たちがみんな死んだので、私が養子をとることはありませんでした。

そういう環境だったせいか、私は父から言われたことは聞くべきだと無意識に思っていた気がします。

父はお正月に毎年「遺言」を書いて私たち姉妹に渡していました。
でもそれは「遺言」なんかではなく、家訓のような心得のようなものだったのですが、そのなかに「最期まで自宅で過ごしたい」というのがありました。
だからそれを守らねば、本人の希望を叶えてやりたいと、私はずっと思っていました。
でも最後の最後にそれができなかったのです。
だから父が施設に移ったことを、なかなか家族以外の人に私は言えませんでした。

介護業界や在宅医療については、私は一般の人よりは多少知識があったので、かなり最期に近いところまでは在宅でできるのではないかとも思っていただけに、それができなかったことは残念だし、挫折感のようなものもあるのだと思います。

でもこのままだと家族全員が共倒れになりかねないと思って、決断しました。

もし、これが私の友達だったならば、「それが最良の選択だ」と私は大きく背中を押すだろうと思います。
だけど自分のときにはなかなか決断できませんでした。
今でも妹たちと当時を振り返りながら、

あのときはこれしかなかった。
あのときの判断は最良の選択だった。

と話すことがあります。
姉妹間ではそう納得してはいるのですが、自分自身のときにこんなにも心が揺れることになるとは、想像以上でした。

介護問題は家庭によってみんな違う。
背景も違うし、夫婦関係も兄弟関係も家庭環境も、家によって全然違います。
だから、こうすればいい、というものは何一つなく、その方法はどんな方法であってもきっと間違いじゃない。

我が家にとってはまずはこれだった、ということなのですが、
いったい当時何が起きていたのか、なぜ決断したのか、どうやって決行したのか、については、もしかしたら他の人の参考にもなるかもしれないし、ようやく私の気持ちも整理されてきたので、少しづつここで書いていこうと思います。
でもこれもまだ結論ではなく、これから先、またどうなるかわかりません。
施設に移ったとは言え、姉妹それぞれが週に1度くらい父に会いに行きますし、今度は初めてひとり暮らしを経験する母のこともあるので、なかなか気がかりなことは尽きません。

老いた父を看ながら、かつて寝たきりになった祖母(父の母)のことを思います。
私が10歳の時に祖父母と同居し、15歳の時に父が長期で単身赴任になり、27歳の時に祖母が寝たきりになりました。
私たち姉妹もが手伝いながら母が祖母の世話をし、一緒に病院の転院先を探し、母は毎日病院に通い、祖母はその数年後に病院で息を引き取りました。

あのとき、父は私に
「もし自分がこういう風になったら、おまえは長女としてオレに毒を盛ってくれ。頼むぞ」と言いました。
そんなとをしたら、私が犯罪者になるじゃない?と答えたとき、父は「そこはうまくやれ」と言ったのです。
どこまで本気だったかはわかりませんが、あれから30年近く経った今、そんなことを言ったことなど、父は今、覚えているはずもありません。

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