買って住むか?
借りて住むか?

自宅の確保のしかたとして、昔からしばしば議論されてきました。
不動産価格が上がっていくのが普通だったバブルの時期とは明らかに違ってしまった現在、地方の別荘(地)は、不動産を負動産と揶揄する記事が出るくらい。

「借りて住む」という選択は「終の棲家」の方向性をも変えるかもしれません。

終の棲家~その言葉から描かれるイメージはあまり明るいものではありません。
終の棲家とは、要は死を迎える時期にどこに住むか、最期に暮らす場所はどこか?というお話。

ひと昔前は、年をとれば家族(子ども世帯)が面倒を見るのが当たり前、亡くなる場所は自宅がいちばん多かったけれど、今は病院で亡くなるのが圧倒的多数。
でも今、終の棲家は病院や老人ホーム等の介護施設、と言っても過言ではない時代になってどれくらい経ったでしょう。

でも本音を言えば、ぎりぎりまで自宅にいたい。
自宅でいよいよもう無理だとなったら、介護施設へ ~ そう考えている人がほとんどのように見受けられます。

でも、それだから終の棲家のイメージが暗くなってしまうように思うのでです。
だって、そうなると終の棲家は最期を待つ場所になってしまいますから。

団塊世代が後期高齢者になり、そうなれば介護施設もきっと満室。
明らかに不足していくでしょう。
だから最期まで住み慣れた自宅で暮らしたいと思う人に応えて在宅医療の体制も進み、国も、「自宅を終の棲家に」していこうと進めている現実があります。

でも老夫婦のみや一人暮らしという環境の場合、本当に自宅が「終の棲家」になるのでしょうか。
確実にカラダが弱っていく中で、「いざという時に・・・」と言う漠然とした不安が置いてきぼりになることはないでしょうか。

以前、東京新聞(中日新聞)で紹介されていた高齢者住宅のカタチは、その一つの答えになるかもしれないと思いました。

それは団地の空き室をリノベーションしたものでした。
集合住宅のあちこちに点在するある空き室を高齢者が暮らしやすいようにバリアフリーに改装し、何か困った時には気軽に相談に乗ってくれる人が同じ建物の中にいる住まい。
相談に乗ってくれる人は、住んでいる高齢者が日々元気かどうかの確認もしてくれます。
「分散型サ高住」と言うもので、今話題の「サービス付き高齢者向け住宅」でした。
それは私たちがイメージする「高齢者住宅」とはだいぶ違います。

住んでいる人たちの様子を見ると、たとえ40代50代でもこんなふうに精神的に自立できている人はどれだけいるかしらと思ってしまうほど。
こういう生き方ができるなら、年をとるのも悪くないなと思えます。

住んでいる人にとっては、未来に向けて住み替えた自宅なんですね。
未来志向の個性的な大人たちが住んでいる場所だったら、将来私も住んでみたい……。
暗いイメージの終の棲家は、住む人によってイメージまで変えてしまいそうです。

例えば、そこに住む”放し飼いの自由を謳歌して水泳三昧”と語る80代の男性は、それまでは妻に先立たれてマンションで一人暮らしだったけれど、毎日の安否確認という見守りつきのこの分散型サ高住に住み替えたことで、子どもたちが心配から解放されたと言います。
子どもの立場からすれば、どんなに元気でも高齢になれば一人で暮らす親は心配です。
でもだからと言って、本人は決められた時間の中で暮らしたくはない。
”放し飼いの自由”とは、うまいこと言ったものです。

”都会は仕事しやすいし、サービスの選択肢も広い”と語る60代の女性は、
夫を見送り、ペットを見送ったことで、夫と趣味を楽しむために暮らしていた別荘地から、ここへの住み替えによって再び東京に戻ってきたようです。
交通の便がよくいろいろな世代が住む「終の棲家」で仕事をし、大学にも通い始め・・・

高級な介護施設や自立型老人ホームが注目を集めたのは少し前のこと。
人によっては、高級老人ホームに入れることはステイタスでさえあるかもしれませんが、それは本当に望む「終の棲家」でしょうか。

1億円、2億円が必要な老人ホームを見学してみると、それはそれは高級でホテルのように素敵ではありますが、私から見るとそれは暮らしではなく旅先や仮住まいのような感じです。
私にとっての暮らしとは、綺麗すぎずきちんとしすぎず、楽しいけど楽しすぎず、好き勝手にできるけど多少面倒なこともあって、少し雑然としているのが「暮らし」です。
たまに訪れるのと違って暮らしは日常ですから。
そしてどんなに高級であったとしても自分の好きなように暮らせないときっとつまらない。

しかも誰もがそんな高額なところに入れるわけではありません。

分散型サ高住の建物自体は30年以上前に建った建物のリノベーション、古いものの再利用です。
空き家にしておくのはもったいない。
壊して建て替えるのはもったいない。
そんな「もったいない」の結果、高齢者のために手を加えられたリーズナブルな住まいは、借りて住む「終の棲家」。
この分散型サ高住は「自宅は買わずにその時々で自分に合った住まいを借りていく」という考え方の延長線上にありそうな気がします。

改めて、終の棲家というのは、介護が必要になってお世話を頼むための住まいではなく、
本来はどう暮らしたいか、そして自分の人生をどう完成させるか、どう生きるか(生き切るか)の上に成り立つものではないかと考えさせられてしまうのです。

 

 

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