喪中欠礼のハガキが届く季節になりました。
我が家の自宅のポストには、毎日1~2通のハガキが届きます。

我が家では今でも年賀状を出しているので、毎年喪中欠礼のハガキが届きます。
最近の喪中欠礼ハガキには、単に「喪中につき」という欠礼連絡ではなく、どういう間柄の人が何歳で亡くなったのかまで書かれていることが多くなりました。

我が家が年賀状を出す相手先は、仕事関係というよりは古い友人知人が多いので、自宅に届く喪中欠礼のハガキも、古い友人知人からのものが多くなります。
そして亡くなった人は高齢の親だったり、兄弟姉妹だったり…。
特に古い友人知人だと、その友人知人と故人との関係性がよくわかり、その哀しみがいかほどのものだったか、思い至ることが少なくありません。
亡くなった人がお元気だった頃をよく知っていたり、直接のやりとりがあったりすると、さらにいろいろな思いが巡ります。

私はそういういろいろな思いを胸に、先方に何か伝えたくなることがあります。
でも、しばらく会っていない相手だとなかなかその勇気がなくて、結局は何も伝えないままになってしまうことも少なくありません。

先日届いた喪中欠礼ハガキは学生時代の古い友人からでした。
学生時代は毎日一緒に遊び、社会人になってからも妙な同志意識があって濃密な付き合いをしていましたが、お互いの転居や仕事の状況でだんだん疎遠になっていた友人で、その友人の兄弟の連れ合いが亡くなった、という連絡でした。

親しかった当時、お互いの家族のことはよく知っていました。
だからその亡くなった人のことは、友人の兄弟が結婚する前から聞いていたし、結婚した後の様子も知っていただけに、どうしてもそのままにできませんでした。
でもなんと連絡していいかわかりません。
私も直接声を聞く勇気がなくて、あまりにも驚いて言葉がない、とだけメールしたところ、すぐに友人から返信が返ってきました。
そこから何度か、悲しいメールのやりとりをしたのでした。
ずっと疎遠になっていた友人でしたが、こうしてメールをもらうのは何年ぶりだろうと、あとになって思いました。

喪中欠礼を受けるのはとても悲しいことですが、それでも昔ながらのおつきあいの意味や価値を感じます。

今や年賀状を出すという行為が減り、出す人もきっとかなり減っているでしょう。
でも我が家の場合は、会いたくてもなかなか会えない年賀状だけのおつきあいになってしまっている人がたくさんいるので、やっぱり年賀状を出す習慣を続けています。
もちろん本来は会うのが一番なんですが、なかなかそうはいきません。
会えないけれど、おつきあいを絶やしたくはない人との、たった52円のおつきあいです。

でもそのおかげで今も元気でいることを確認できたり、こうして喪中欠礼のハガキが届くことでその人の今の環境を知ることができるのは、やはり私にとっては大事なことであり、これは忘れたくない習慣の一つではないかと思います。

まもなく90歳になろうとする実家の父は、だんだんパソコンもおぼつかなくなり、「もう年賀状は出さない!やめる!」と言い始めました。
私自身も、年末の忙しい時に年賀状なんかやってられないよ~と言うもう一人の自分も確かにいるのですが、人とのつながりというのは、一度つながりが切れるとそこから回復させるのは本当に大変なので、今のところは続けています。
老いた父にも、私たち子どもの多少のサポートで、できればもう少し頑張ってもらいたいと思っているところです。

さて、その喪中欠礼のハガキで初めて訃報を知り、

直接連絡するほどではないけど何かお悔やみの気持ちを表したい、
だけど無駄な気遣いはさせたくない、

と思われる方もいることでしょう。

関係性によって、その気持ちの表し方はさまざまかもしれません。
私は四十九日に合わせて仏様にお供えするためのお花を送ることがありますが、喪中欠礼で初めて知る場合にお花やお菓子を送る人もきっといらっしゃることでしょう。
最近は贈ることを前提としたお線香を求める方が多いようです。
小さいし、そんなに値が張らないので、必要以上に気を遣わせることがないのも喜ばれている理由なのかもしれません。
アマゾンで注文するとギフトラッピングも受けているようなので、忙しい人でも送りやすいことも、今の時代ならではだと思います。